トルコ共和国 Republic of Turkey
交 通 | 関西国際空港〜イスタンブール (所要:約14時間) など |
気 候 | 日本と似ているが、地域差が激しい |
通 用 語 | トルコ語(公用語)・観光地では英語も通用します |
通 貨 | トルコリラ(TL) (7,200TL=約1円) |
宗 教 | 国民の98%がイスラム教徒ですが、国教ではありません |
時 差 | −7時間。サマータイム時(3月末〜9月末)−6時間。 |
【総 論】
■ お金
トルコはインフレが激しく、短期間で大幅にレートが変動します。ホテルや土産物店では米ドルが通用し、ツアーの場合は観光施設の入場料やタクシーなどの交通料金、チップ、食事の飲み物代くらいしかトルコ・リラを現金で使うことがないので、少額ずつ両替しましょう。博物館などでは1年に1度、4月に料金改定をしているそうなので、ご注意を。
30US$両替したら23,750,000TLと、ゼロのついたお札がいっぱいで目がテン。トイレチップに20万TL(20円くらい)、枕銭・ポーターに50万TL…、桁だけ見ると大金持ち気分!?
■ お土産
観光地では絨毯、絵葉書、トルコ帽、笛、独楽、その他お土産アイテムを携えた土産売りのおじさん&少年がいっぱい。「3個デ1,000円」が「5個デ1,000円」「10個デ1,000円」終いには「全部デ1,000円!」って、そんなにいらないよ…。
オススメは、青い目玉の形をしたトルコ人のお守り『ナザールボンジュー』(この壁紙の模様の目玉がそうです)。
絨毯もトルコの名産品。店内に所狭しと並べられた絨毯は、壁飾りにする小さなものから大広間用のものまで、色も柄も多彩で選ぶのが大変。絨毯の模様は作られる土地によって違うそうです。我が家はカイセリで作られた羊毛&ラクダ毛の玄関マットを買いました。ちなみにここの店員さん、日本語で「8畳用、6畳用モアリマス」って、さすが。
皮革製品なども上質のものが安価で手に入るようです。
トルコ式のショッピングの楽しみは、チャイを飲みながらの値段交渉。値段はあなたの腕次第!?
■ 料理
トルコ料理は、アジアとヨーロッパの食文化が融合されたもので、フランス料理・中華料理に並び、世界3大料理のひとつに数えられています。メニューの中心は羊肉料理。
シシケバブ(羊肉の串焼き)、ドネルケバブ(薄切り肉を重ねて焼いたものをナイフで削ぎ落とし、パンなどにはさんで食べるトルコ風ファーストフード)、キョフテ(羊肉のハンバーグのようなもの)、ヤプラク・ドルマス(ぶどうの葉でお米・肉・野菜を包んで煮たもの)、サバサンド(揚げor焼きサバをはさんだサンドウィッチ)、ライス・プディング、ドンドルマ(のび〜るアイス)など。食事の最後は激甘お菓子と、小さめのガラスの器で飲むトルコ風紅茶「チャイ」でしめくくるのがトルコ式。
話は変わるけど、トルコはヨーグルトやピラフの発祥地だそうです。
水はトルコ語で「su(ス)」といいます。旅行者は水道水は飲まない方が無難、ミネラルウォーターを飲んだほうが安心です。
■ ハマム(トルコ風呂)
トルコ式共同浴場。ビザンチン帝国時代のローマ風呂と、沐浴で身を清めることを義務とするイスラムの教えがあいまって生まれたもので、トルコの人々の社交場として生活になじんでいます。
まず服を脱いだらタオルを巻いて、ドーム型の風呂場へ。中は蒸気が立ち込めスチームサウナ状態、中央の大理石は温められているので、その上に10分でも横たわればじっとりと汗がでます。浴場には体をこすってくれる係員がいて、垢すりやマッサージをしてくれます。ホテルの中にもあったりするので、機会があればぜひお試しを。
■ ベリーダンス
リュートと呼ばれる弦楽器とドラムやタンバリンなどの打楽器が奏でる音楽に合わせ、セクシー美女が体をくねらせて踊るダンス。エジプト古来の踊りに、トルコのハーレムの匂いを添えたものと考えられています。アラブ独特のリズムとムードに酔えるひと時を。
■ 宗教
モスク(イスラム寺院)に入るときは靴を脱ぎ、女性は本来髪を隠さなくてはいけません。できれば女性は頭にスカーフを、男性も長ズボン着用が好ましいです。くれぐれもミニスカート・短パン、ノースリーブなど肌を露出した服装は避けましょう。勿論、お祈りしている人の邪魔にならないように見学は静かに。通常は観光客で賑わうモスクも、イスラム教の安息日である金曜日の祈りの時間には信者以外は入場できません。
次の「クルバン・バイラム(犠牲祭)」「シェケル・バイラム(砂糖祭)」はイスラム教の2大行事の一つで、この日は祭日になります。これらの行事はイスラム暦(太陰暦)によるので、西暦上では年に11日ずつ前にずれていきます。
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クルバン・バイラム(犠牲祭)
神様に羊や牛を捧げる祭り。ことの起こりは、最初の預言者イブラヒムが神様から信仰心を試され、その証しに自分の息子の首を切って神に捧げよと言われ、悩んだ末に息子の首を切ろうとした時、空から天使が一匹の羊を連れて舞い降りてきて、イブラヒムは息子の代わりに羊の首を切って神様に捧げることが出来たとか。現在、犠牲祭は神様への感謝を捧げる日であり、裕福な家庭が用意したクルバンの肉を貧しい人々に分け与える日でもあります。この時期は、街中が浮かれ始め、会社や学校は大型連休に入ります。
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シェケル・バイラム(砂糖祭り)とラマダン(断食)
「ラマダン」の1ヵ月間、イスラム教徒の人々は日の出から日没まで、水やタバコも含めて一切の飲食を断ちます。夜明けのお祈りの前に朝食を食べ、日中はひたすら我慢し、夜は好きなだけ食べたり飲んだりして良いそうです。病気の人、胃腸の悪い人、育ち盛りの子供、戸外で重労働をしている人、妊婦や生理中の人は断食をしなくても良いことになっています。断食中は夜間のドカ食いで痩せるどころか太る人が多いとか…。1ヵ月後のラマザン明けには甘いものを食べる「シェケル・バイラム(砂糖祭り)」が待っています。
【イスタンブール】
イスタンブールは、ヨーロッパとアジアの2大陸にまたがる都市。また、キリスト教国であるビザンチン帝国、イスラム教国であるオスマン帝国という2つの大帝国の首都として1600年間輝き続けた歴史の足跡が多く残っている街です。
もともと東西貿易の要所として栄えていたこの地は、196年にローマ帝国に征服され、330年に皇帝コンスタンティヌス1世が首都と定めて、コンスタンティノープルと命名。彼は2人の息子にローマ帝国を東西に分割して与え、コンスタンティノープルは東のビザンチン帝国の首都となりました。その後、コンスタンティノープルは1453年、オスマン・トルコに征服され、イスタンブールと改名されました。
イスタンブールはボスポラス海峡をはさんでヨーロッパ側とアジア側に分かれ、ヨーロッパ側はさらに、金角湾をはさんで南側の旧市街と、北側にある新市街に区分できます。
旧市街…オスマン帝国時代の中心地。トプカプ宮殿、アヤ・ソフィア、ブルー・モスクなど見所が集中しています。モスクやバザールなどがひしめきあい、下町らしいムードが漂っています。
新市街…ビジネス街&大きなホテルが集中しています。
アジア側…小さな町が集まるベットタウンで、ここからフェリーでヨーロッパ側に通勤している人が多いそうです。
* 旧市街と新市街を結ぶガラタ橋は車の交通量も多いのですが、両脇の歩道には釣り糸をたらした地元民がズラリと並んで、近くにはサバサンドなどのトルコのB級グルメなスタンドもいっぱいです。
<旧市街>
■ トプカプ宮殿
オスマン帝国の歴代スルタン(王様)の居城であり、政治の中心だった場所で、現在は博物館として公開されています。黄金期にはハレムを含む宮殿内に約4000人が住んでいたそうで、人々はこの宮殿を「幸福の館」と呼んだそうです。正門「表敬の門」を入るとすぐ右手に、当時の厨房があり、中国の青磁や日本の伊万里といった陶磁器コレクションの展示室になっています。他にもスルタンの衣服、日用品、時計などのコレクションの部屋があります。中でも観光の目玉となっているのが宝物室。17世紀にイスタンブールのごみの山から発見された86カラットの巨大ダイヤモンドがあり、女性必見!?
■ スルタン・アフメット・ジャミィ(ブルー・モスク)
「ブルー・モスク」の愛称通り、青を基調としたタイルが美しく、ステンドグラスとランプの光が幻想的なモスク。床に敷かれた絨毯の長方形の模様は、イスラム教徒の人たちがお祈りする一人一人のスペースを示していて、4500人分あるそうです。ちなみにイスラム教では偶像崇拝を禁止しており、人物や動物の姿を描いたり刻んだりすることはできなかったため、その代わりに唐草文様や幾何学文様などが発達したそうです。
■ アヤ・ソフィア
ギリシア正教の聖堂として建てられたのに、オスマン・トルコによってモスクに改築された赤い聖堂。
堂内は薄暗くひんやりしていて、モザイク画や、預言者ムハンマドの名が大きく金文字で書かれた円盤、“ミフラーブ(聖地メッカの方角を示すもの)”、沐浴用の大理石の壺があったりと、ギリシア正教とイスラム教が同居していて不思議な感じ。まさにイスタンブールの歴史を示すシンボルですね。
■ 地下宮殿(イェレバタン貯水池)
アヤ・ソフィアから徒歩1分、路面電車の通る道を下っていくと、ビザンチン帝国時代に造られた地下貯水池があります。内部は高さ8メートルの大理石の柱が約300本ズラリと立ち並び、さながら地下宮殿のようだったためこのように名づけられたそうで、映画007シリーズ「ロシアより愛をこめて」に登場したこともあります。
この薄暗い貯水池で数匹の魚を発見!どこから入ってきたの???一番奥に進むとギリシア神話のメドゥーサの頭部が彫られた柱があって、何故か逆さまだったり横向きだったり&緑色に苔むしてしまって、かなり不気味です…。
■ グランド・バザール
犠牲祭によるお休みで入れませんでした。500年以上の歴史がある屋根つき市場で、絨毯、皮革、陶器、金銀細工など4,000軒以上の店が並び、迷子になりそうなくらい広いらしいです。観光客相手なのでイスタンブールにしては値段が少々割高だとか。
ちなみにトルコの商店は日曜日が一般的に定休日になっています。
<新市街>
■ タクシム広場
高級ホテルやオフィスビルの集中する新市街の中心。広場から南西にのびるイスティクラル通りを走るトラム(路面電車)の発着所にもなっています。イスティクラル通りにはベネトンなどのブランド店やレストランが並び、休日はたくさんの人であふれ返っています。
* ボスポラス・クルーズ
ボスポラス海峡を旧市街から出航して北上し、左手に大統領官邸として使われていた西洋風のドルマバフチェ宮殿を見ながら、ヨーロッパとアジアをつなぐボスポラス大橋まで航行します。ドルマバフチェ宮殿の対岸、ユスキュダル付近はアジアの雰囲気が色濃く出ていて江利チエミの歌でも有名な所。折り返し地点の第2ボスポラス大橋近くには要塞ルメリ・ヒサルが堂々とした姿を見せています。上流階級が建てた木造の夏の別荘ヤルが立ち並んでる様子も見られます。
【エフェソス】
■ エフェソス考古学博物館
博物館の収蔵品の中でも有名なのが、豊穣・多産・安産・生殖の象徴として胸に無数の乳房をつけた女神アルテミス像。下半身に飾られたスフィンクス、グリフィン、牛、鹿などの浮き彫りが、生命を司るアルテミス女神本来の姿を象徴しています。
■ エフェソス都市遺跡
トルコでも指折りの古代遺跡群で、図書館や神殿、体育館、劇場、浴場から公衆トイレ、売春宿の跡まであって、当時の人々の公私にわたる生活ぶりが想像できます。
まず驚いたのが、ハドリアヌス神殿の隣に堂々と売春宿があること。アルテミス女神の信仰では多産・安産に関連して、売春も公認されていたのだそうです。神殿の裏にはローマ浴場&公衆トイレもあり、なんとトイレは水洗だったんですよ。
セルシウス図書館は、アレキサンドリア、ベルガモの図書館とともに、世界3大図書館として知られ、ローマ時代には約12万冊の蔵書を誇ったと言われています。野外劇場は、客席からは港が一望のもとに見渡せたといいます。
図書館と野外劇場をつなぐのがクレオパトラも歩いたいうマーブル通り(大理石通り)で、道の両脇には下水道の跡があります。この大理石の道の途中に女性の顔と足型、ハートの図が刻まれているところがあります。港から上陸した男性陣を売春宿へ誘う道しるべだったそうです。
野外劇場から古代の港だったところまでまっすぐにのびるアルカディアン大通り(港大通り)は当時両脇に商店が並んで賑わったエフェソスのメインストリート。
■ アルテミス神殿跡
紀元前6世紀に120年の歳月をかけて建てられたこの神殿は、かつてその壮大さから「古代七不思議」に数えられていたそうですが、完成から100年後エロストラトスという男によって放火され焼け落ちてしまったとか。動機はただ「有名になりたかった」から…。その後再建されましたが、ローマ皇帝ネロに荒され、ゴート人の侵略やキリスト教徒によっても破壊されてしまい、今では広大な敷地に復元された柱がぽつんと一本立つだけの寂しい野原です。
■ 聖母マリア教会
聖母マリアが聖ヨハネの保護のもと、余生を送ったといわれる聖母マリア最期の家です。この家は長い間発見されてなかったのですが、1852年、病床にあった女性が突然天啓を受けたことから発見され、以来キリスト教の聖地として多くの人々が訪ねるようになりました。
この情報は2001年3月時点のものを基本としています。
<2004年6月更新>
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